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収斂[short]

こちらからお聞きください。

この名義では初めての曲ですね。
全て剽窃の所為です。さんの独特の雰囲気に憧れがあって、自分の作品、ひいては自分の価値観や人生にも、この雰囲気を取り入れたいと思っていました。
その中でも特に、「剽窃[short]」という曲をオマージュしたのが、この「収斂」になっています。

テーマ

自分のアイデンティティに関する苦悩を、ほぼそのまま歌詞として書きました。
直接的な単語こそ用いていないものの、知っている人にとってはかなり分かりやすいものになっているのかな……と思います。

曲名

「収斂」という単語を、Web上で検索してみます。

[名](スル)
1 縮むこと。引き締まること。また、縮めること。収縮。「血管を収斂させる」
2 一つにまとまること。また、まとめること。集約。「意見が収斂される」
3 租税などを取り立てること。
4 生物学で、系統の異なる生物どうしが、近似した形質をもつ方向へと進化する現象。相近。
5 「収束2・3」の旧称。
—デジタル大辞泉(小学館) via コトバンク

この中で、私が特に意識したのは「2」と「4」です。別々に生まれたものが、似たような方向に近づいていく、というような含意ですね。「自分の理想に近づいていく」という意味と、いわゆる「すべあな模倣」を表す意味、2つの解釈をもたせています。
(先で述べたテーマとは、実はあまり関係ないです……)

歌詞

1番

傾いた眼が、瞬きで伝えた、

「傾いた眼」→「正面を見ていない」、「瞬きで伝えた」→「言葉を発していない」という意味で、どちらも「一定の人にだけ分かってほしくて、こっそりと伝えている」ことを表しています。この曲そのもののことを指している表現です。

影は未だ 〃 (まだ) 足りないと言っては、細い針を滑らせるの。

「針」には、「縫う」と「刺す」2つの動詞の意味を持たせています。それぞれ、「自分を取り繕って、理想に近づこうとする」ことと、「拭えないコンプレックスに対して、自己否定に走る」ことの比喩です。「影」は「もうひとりの自分自身」の意味で、自分のことを顧みて、「まだ理想に近づけていない」とか、「自分の価値を下げ切れていない」とか感じていることを表現しています。

白色の血の跡、

先ほどの節の、「刺す」の意味を補強する言葉です。赤色ではなくて、白色の血なのは、あまり意味はありません。強いて言うならば、身体の流す血は赤色で、心の流す血は白色、と区別したかったのかもしれません。

どうせ想っても為れない理想なら……。

理想と現実の自分との間に、大きなギャップを感じ、半ば諦めています。生まれ持った宿命を越えるなんて、難しいに決まっています。いくら頑張っても、限界はやはりあるもので、それ以上、理想には近づけません。人事を尽くし、天命を待ち、高望みをしない、それしかないのです。

隅に丸めては、次の為人 (かたち) を探す。

よく、物書きの方が、原稿用紙を丸めて捨てるシーンがあります。今まで努力して積み重ねた、人となり、すなわち「人格」を捨て、より理想に近い [かたち] を模索する、ということです。「名義の変更」や「 (インターネット上での) 転生」の比喩表現です。この名義を作ったのも、そういった理由からです。

2番

数多の骸のほう、唯々近づきたくて。

「骸」は、先ほど捨てた「為人」たちです。その [かたち] が目指していた方向、すなわち「理想の方向」に近づきたい、だから何度もそれを作り直す、ということです。ですが……成長を重ねて、理想に近づいているなら、自分から見たら、「骸」は後ろ向きにあるかもしれません。何も進歩していない、という意味も持たせています。
(後者は後付けです。いまこれを書いていて、ふと気がつきました)

水色のスカートを見つめる、

この部分は、一種の比喩表現です。「憧れ」のモチーフとして、真っ先に思い浮かんだのは「ドレス」なのですが、少し語呂が悪いと感じて、後から「スカート」に変えました。「水色」なのは、私の好きな色が「白と水色」だからです。それ以上、特に深い意味はありません。

手を引いてよ、「放っといてよ!」

矛盾したお願いを、同時にしています。私は自信や意思が弱いので、誰かに引っ張ってもらわないと、決断ができません。なので、私の想いをよく鑑みてくれる他人に、手を引いてもらいたいのです。……でも、よくわかっていない他人から受ける、お節介はあまり好きではありません。それに、自分がただ弱いだけのために、人に労力を使ってもらうのは、なんだか申し訳ないです。だから、突き放すような言葉が自然と出てしまうのです。

中途半端な苦しさ、

私の意思の弱さゆえに、まだ自分がどう生きるべきなのか、決めきれずにいます。また、自分はあまり悩みが多くないほうだと、勝手に思っています。それでもなお、こんなに苦しいと感じていること、それさえも、苦しさの一因になってしまいます。

右 (ほんとう) も左 (うそ) も選べない弱さ。

自分のアイデンティティについて、仮面をかぶって、嘘をつくようなことが時々起こります。「真実を貫く」とか、「仮面に徹する」とか、いさぎよく決断できればよかったのですが……。あえて「左右」を選んだのは、「右も左も分からない」という言葉があるからです。

私でいてもいいのかな……。

最近の一番の悩みです。「私」を選んで、それで生きて、本当にいいんでしょうか。いくらかの人に聞きましたが、今でも答えは出せないままです。

暗号

モールス信号になっています。

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どうしてくるしいの
..-.- ..-.. -...- ... --- -. .-
みとめられたい
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こころのすがたを
-..-- --. ..-- -... .-. -.-. .-. --- -. ...
ゆりのはなになれたら
---- ..-- -.- .-.. .. -..- -..- -...
このわがままは
-..-- -.--. -.-.- --- -..- ---.- .-..
ゆるされますか

ユリって、きれいな花ですよね。花言葉も「純粋」「無垢」「無邪気」と、きれいなものが並んでいます。私も、そんな存在になりたいものです。……無理でしょうけど。

















補遺

まだ解説するべきことが残っています。ここから先の内容は、あまり好かない人もいるものなので、苦手だな、と感じたら、即座に閲覧をやめて、ページを閉じていただいて構いません。


では、書いていきます。
最初に述べた「自分のアイデンティティ」がいったいなんなのか。これは、「性別違和」のことです。私は出生時の性別が男性で、いまは女性寄り (厳密には、ただ女性というわけでもないのです) の性別を自認しています。一般に「トランスジェンダー」とも言われたりします。 (世間のニュアンスとは、少し違う気もしますが……)
昔から、女の子になりたいと思っていました。漠然としたもので、あまり強いものでもなく、宝くじを当てるようなものに思っていました。それが、時が経つにつれて、だんだんと「男性として生きたくない」というものに変わっていきました。それで、女の子の真似をしたり、自分の代名詞を「they/she」だと言い張ったり、そういうことをしています。
所詮、していることはただの真似、いわば「模倣」に過ぎないのですが、どうしても思い詰めてしまうことがあります。私はちゃんと、女の子みたいになれているのでしょうか。私は、こんなことをしていて、本当にいいのでしょうか。
……そういったようなのが、この歌詞の内容になります。

追記

それを踏まえて、曲にはまだ、説明していない部分があります。

水色のスカートを見つめる、

歌詞の全体を通して、もっとも直接的な表現です。「スカート」といえば、女の子の象徴的なモチーフですよね。

中途半端な苦しさ、

「中途半端」は、他にも複数のものに対して、形容されています。自認が女性寄りとはいえ、完全に女性というわけではないこと、私が性別に疑問を持ち始めたのが、概念や知識に触れてから、数年経っていて、明らかに後発的なものであること、などです。

右 (ほんとう) も左 (うそ) も選べない弱さ。

「右」に「ほんとう」、「左」に「うそ」と、ルビを振っている理由を、まだ解説していませんでした。これは、時たま左が男性、右が女性を表すことがあるからです。(後で調べたのですが、日本には古くから、「右の方がよいもの」という文化もあるそうです)

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ゆりのはなになれたら

女性を表す花の代名詞として、ユリを選びました。女性同士の同性愛のことを、スラングで「百合」と言ったりもするそうです。